JUMEAUX OBSCENES Respect a SPANK HAPPY


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Tatsuya Oe NEW
 1969年生まれ。東京大学を出て、電通に入社。1996年、本格的に音楽活動を開始。翌年イタリアのレーベルACVより TATSUYA OE 名義でリリース。CAPTAIN FUNKとして、1998年5月にサブライム・レコーズからデビュー。何か色々凄い人らしい。2002年より、名前をTatsuya Oeとし、OE(オー・イー)プロジェクトを開始。『ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ』にトラッカーとして参加。公式サイト
チョコレート
 SPANK HAPPYの二人がとても愛している食べ物。ご褒美の代名詞。瞳ちゃんは、チョコレートは自分で食べる物であって、他人にあげる物ではないと思っている。
坪口昌恭
 SPANK HAPPYのカラオケ制作者。64年12月3日福井県生まれ、大阪育ち。キーボーディスト、音大講師(尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科)。シーケンサーをインタラク ティヴに活用し、オルタネイティブ・ジャズ・キーボーデ ィストとして活動中。自己のリーダーユニットに、「東京ザヴィヌルバッハ(菊地さんと二人でやっている)」「坪口昌恭アコースティック・トリオ」「TZBO LABO」が、サポートメンバーとして、「DCPRG」がある。公式サイト
DCPRG
 デート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン(DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN)の略。菊地さんが主幹を務めている。70年代マイルスへのリスペクトから始まった、ダンスフロア対応の変拍子、ポリ・グルーヴ、複合ビートをジャズファンクバンド。メンバーは、 菊地成孔(Key, CD-J, Conductor)、大友良英(Guitar)、高井康生(Guitar)栗原正己(Bass)、坪口昌恭(Keybord)、 大儀見元(Percussions)、後関好宏(Tenor sax)、津上研太(Soprano sax)、吉見征樹(Tabla)、藤井信雄(Drums)、芳垣安洋(Drums)。
 DCPRGとSPANK HAPPYは、「本妻と若い愛人」の様な関係。
デパート
 消費物の宝庫。経済状況の象徴。活気のあるデパートにも、閑散としたデパートにも、独特な魅力がある。
Degustation a Jazz NEW
 デギュタシオン・ア・ジャズ。菊地成孔氏に寄る、氏初のジャズのリーダー・アルバム。世界初の“フランス料理からインスパイアされた”ジャズ・ミュージックで、様々な素材、食感、調理方法のジャズを、1分〜2分尺にまとめあげたものが41曲入っている。旧来的なモダン・ジャズのドグマを解体し、エレガントで、フォーマルで、ブルーで官能的な、つまり本来の姿のまま、ジャズのポスト・モダニズム化した。13曲目、「フリージャズを効かせたジャズロック風。 スパンクハッピーのスキャット乗せ。岩澤瞳のタイトル・コール添え」。
ドストエフスキー
 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(Fyodor Mikhailovich Dostoyevsky: Фёдор Михайлович Достоевский)。1821年、ロシアはモスクワに生まれる。小説家。10代のうちに相次いで両親を失う。43年、工兵局製図室に勤務するが、なじめず翌年辞職・退役。45年、「貧しき人びと」で文壇デビュー。48年頃から、ペトラシェフスキー主催のユートピア社会主義思想の会合に参加するようになり、49年、逮捕・収監。危うく銃殺刑に処されるところだったが、免れ、シベリア流刑。57年、未亡人マリヤと結婚。59年、服役修了。ペテルブルグに居住許可がおり、10年ぶりの作家活動再開。61年、雑誌「時代」発刊。スースロワと愛人関係が始まる。64年、妻病死。雑誌「世紀」発刊。66年、「賭博者」、速記者アンナの力を借り完成。67年、アンナと結婚。妻と4年に渡る欧州旅行に出発(旅行?)。文中以外の代表作品。「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」「虐げられた人びと」「伯父様の夢」など。
トマス・ピンチョン
 トーマス・ピンチョン(Thomas PYNCHON)。1937年、アメリカ、ニューヨーク州ロング・アイランド生まれ。53年、オイスター・ベイ高校を最優秀学生で卒業し(飛び級)、コーネル大学の工学物理学部に入学。59年、短期間の海軍役務の後、コーネル大学の英文科に転部し、学生として作家ヴラジミール・ナボコフから学ぶ。63年、処女作「V.」を出版。ウィリアム・フォークナー賞を受賞。65年、『エスクワイア』に後の「競売ナンバー49の叫び」の一部となる、短編「世界と肉体、そしてピアース・インヴェラリティの遺言」を発表。66年、「競売ナンバー49の叫び」を出版。翌年、ローゼンタール基金賞を受賞。74年、名作「重力の虹」を出版。全米図書賞受賞。文中作品以外の著作。「スロー・ラーナー」「ヴァインランド」「メイソン&ディクソン」など。経歴などについての多くはは謎の作家(極端なインタヴュー嫌い)で、しかも、その作品の完成度の高さから、ピンチョンの作品はマサチューセッツ工科大学(MIT)の言語学者サークルによる共同ペンネームではないかと噂されたこともある。
 「競売ナンバー49の叫び」。この本を読んでいないので、どの部分を指しているのかは分からないが、「ミスタードーナッツのシュットクハウゼン」の元ネタに近い(なっている?)部分があるらしい。また、「重力の虹」は、「ジャンニヴェルサーチ暗殺」の「お金で虹が架かる空」と、微妙に連動しているのではないかと思う。